お便り写真・番外 A様の砲の話
艦の会でお会いした、A様からの貴重な写真のお便りです。
別枠で掲載します。

17.11.8 「六義園」

すっかり寒くなって来ました。
今回は趣を変えて 東京「六義園」の鮮やかな紅葉の写真をお送りしますので御覧下さい。
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フジミ模型の1/350重巡洋艦「妙高」の製作を開始しました。
最近のプラモデルは鋳型の精度が格段に上がり、昔のものとは比較になりません。
「エッチング」は中国の模型店(鷹羽模型)から直送され
前回造った「高雄」型の2倍くらいの枚数が有ります。
完成は来年の3月頃になると思われます。
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素晴らしい紅葉ですね 。

17.9.17 「長門型戰艦」の火薬罐
以前(20年前)偶然にも東京都内で発見され雑誌(学研・太平洋戦史シリーズ)に掲載された後行方不明になっていた「長門型戰艦」の火薬罐が都内に健在していた事を報告します。
大切に倉庫に保管されていたのを冩眞に撮って来ました。カメラが良くなったので、昔撮ったものよりも鮮明でまるで別物のようです。
ところで、最初の所持者が亡くなってしまい引き継いだ人も次第に高齢化して、
「さて、これからどうしようか」との相談を受けました。
重たい火薬罐(80Kg/缶)をいつまでも倉庫に置くわけにも行かないので、
何れは鉄屑屋に売られてしまう事になりますが、 この貴重なものが消滅してしまうのは何とも。
火薬罐
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火薬罐
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火薬罐の内部は黒うるし塗りで、防湿と静電気対策が施されております。
火薬罐内部
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貴重なものが、見つかって喜びたいですが、どうなってしまうのか 心配ですね。
今の日本では、大和ミュージアムが、ベストですかね。

17.5.20
箱根、「芦ノ湖」の湖畔「山のホテル」のつつじを見に行って来ました。写真を送りますので御覧下さい。
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素晴らしい眺めですね。

17.5.5
「赤城」がようやく出来上がりましたので、報告申し上げます。
今年の元旦から作り始め(定年後の暇つぶしに)朝から晩まで 悪戦苦闘の毎日で4か月も掛かってしまいました。
何とか恰好は付きましたが「ネット」で拝見した諸先輩方の作品に遠く及ぶ所ではありません。
写真をお送りしますので、御覧頂ければ幸いです。
 (注) @部品入手の関係で「係船桁」不備の状態。
     A出撃時に飛行機救助網は撤去された。
     B前後のエレベーターは開口の状態 
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完成おめでとうございます。

17.4.13
今年の始めから掛かっていた赤城がようやく出来上がって来ましたのでお送りします。
これからいよいよ飛行機作りが始まります。
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速いですね。

17.3.14 悪戦苦闘
今年の始めから「赤城」に取り掛かっておりますが、
近況をお知らせ しますので御覧下さい。
航空母艦には初めて取り組んだのですが、なかなか奥の深いもので
「ネット」で諸先輩方の素晴らしい作品を拝見して我が未熟さを痛感し、
その都度やり直しを繰り返して居るので、なかなか進みません。
右舷前方から
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発動機調整所
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エレベーター
「艦内の飛行機格納庫の床はリノリューム張りで有った」との事ですが
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  実は、昭和13年の「赤城」の近代化改装に造兵大尉として従事した従兄弟(104歳) の話で、
「艦内の航空機収納甲板は、リノリューム張りだったのではないか」 との事を聞いたので
今回、私が作った模型の格納庫エレベーター周辺はリノリュームのような感じにしたのですが確認の術がありません。
諸先輩の模型作品でも格納庫の床面は「グレイ」に塗装されており、
ネットでも調べてみたのですが、リノリュームの記述に付いては、
戰艦の観測機用カタパルト周辺の床面が、床下の居室の防暑の為に
リノリュームが貼られていたとの事で、航空母艦格納庫の事は記載されて 居りません。
もし、此の話を裏付ける資料が有れば大変助かるのですが。
映画「トラトラトラ」に格納庫の場面が出てきますが、
灰色のカーペット(織物)のような感じで織り目が滑り止めになって居り、
部品や工具を落としても傷が付かない様な材質であるように思われます。

上記の件で御存知の方があれば、お知らせください。

17.1.1
新年おめでとうございます
       今年も宜しくお願い致します
                    平成29年 元旦
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作るものを探していたのですが、
やはり1/350のプラモデルしか有りません。
「ハセガワ」の赤城が良くできているとの事なので
昨夜、ネットで注文して新年1/4には届きそうです。
エッチングも全て注文しましたが、この工作はなかなか難しいようで、
今年72歳になり「目」も上がって来ているので
自分との戦いになるものと思います。
長期戦を覚悟で取り組みますのでご指導の程、
宜しくお願い致します。

16.12.8
ご無沙汰ですが、お元気にお過ごしの事と思います。
先日の「おおなみ会」展示会の写真を送りますので御覧下さい。
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参加者総員 (送って来た冩眞ですがボケてます)
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今回展示した「軍艦扶桑」

臨海公園に設置された陸奥の主砲です。
設置完了は来年3月との事で、「船の科学館」に有った時はペンキが全体的に
灰色一色に塗られておりましたが、今度は塗り分けが為されて居ります。
これにハンドルが付いた真鍮の「砲口栓」が取付られたら申し分有りませんが。
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設置作業のミスで「垂直軸」が左に傾いて居るのが気になります。
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陸奥の主砲もこれで一安心ですね。

16.9.2押入れの整理を
押入れの整理をしておりましたら、旧、横須賀海軍工廠のガントリークレーン に関する新聞記事(昭和49年2月05日)の切り抜きが出て参りました。
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以前から、その「ガントリークレーン」の基礎が今でも残っている
 との事を、横須賀「おおなみ会」の会長さんから承って居りましたが、
先日、その現地を訪ねて冩眞を撮って来ましたのでお送りします。
横須賀基地の第一号ドック側の通用門の近くに、柱の基礎と思われるものが一か所残されて居りました。
過って、此処に巨大な「造船台」が有り、「戰艦山城」や「戰艦陸奥」が此処で進水したのだ、
と、思うと、実に感慨無量でした。
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軍艦もいまやブロック工法ですですものね。

16.6.6
此の度は久しぶりにお会いして、大変楽しい時を過ごさせて 頂きました。
少年時代からの模型(狂い)として心から厚く御礼を申し上げる次第です。 今後共、宜しく御指導を賜りますようお願い致します。
下の冩眞は何年か前に千葉に遊びに行った時に或るところで走っていた 蒸気機関車を撮ったものですが、お送りしますので御覧下さい。
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軍艦山城(1/350)
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全景

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また、どこかでお目に掛かれる事を楽しみにして居ります。

16.1.1新年おめでとうございます。 今年も宜しくお願い申し上げます。 お便り
河口湖の富士

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田貫湖の逆さ富士


15.12.8 「おおなみ会」第9回模型展
12/5,6「おおなみ会」第9回模型展
今回は「冬場」の為に展示品の数量が少ないのだそうです。
艦船模型で1/200の見事な作品がありました。

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会場

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1/200 隼鷹

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1/200 隼鷹

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1/200 隼鷹

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1/200 翔鶴?

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A様の作品
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その他に、或る見学者が三次元プリンターで作ったものを持ってきました。
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発射管

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発射管

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探照灯



A様の砲塔もほぼ完成でしょうか?
迫力満点ですね。
しかし3Dプリンター恐るべしですね。

15.9.29 9/26全日本模型ホビーショー
9/26全日本模型ホビーショー
たいへんめずらしいものを見る事が出来ましたが、もう此処まで来ると、 とても模型とは言えません。
国宝「白鷺城」
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宇治「平等院鳳凰堂」
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これはプラモデルに非ず、鋼鉄で作った戰車です
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よくも此処まで作りました
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宙返りを何度も繰り返しました。
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15.5.31砲塔の模型の修正をしましたので、冩眞をお送りします。
毎日、此の模型をながめているうちに何と無く物足りなさを感じて修正工作を始め、 ようやく出来上がりました。
特に天井から砲弾を挟んで運ぶ「弾把」は、海軍工廠で使っていた図面を何度も見直して 其の特徴を掴んで改良したものです。
砲弾を単に吊下げて運ぶのでは無く、戦闘中の衝撃や不測の事故に対応するために上下左右をも完全に固定して運んだわけです。
模型などと言うものは、手を加え出したらキリがありませんね。

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載弾盤・運弾盤

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弾杷

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火薬庫 装薬運搬車


砲塔、砲身もリアリティを増して、素晴らしいです。
細部を作りこむと格段に見栄えが違ってきますね。
それだけに、際限が無くなり難しいです。

15.5.9 砲身を取り付けましたが、これでようやく砲塔らしくなりました。
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「戦艦長門型」40サンチ砲塔の模型


14,11,25 「戦艦長門型」40サンチ砲塔の模型が ようやく出来上がりました。

此の度、永年の研究を元にした「戦艦長門型」40サンチ砲塔 の模型がようやく出来上がりました。
その冩眞をお送りしますので御覧を頂き度く願い上げます。
なにしろ「砲塔」とは機械のかたまりの様なもので、 誠に手間が掛かった模型でありました。資料不足の為に 機械そのものの形が確定せず、また大変精巧な機械で有り、殊に「水力發動機」や砲の「連鎖装填機」など(工作技量未熟の為に)おおまかなものにならざるを得ませんでした。
戰前の戰艦の砲塔内部は軍事機密の厚いベールに包まれて 實物の冩眞は皆無であり、此の「砲塔模型冩眞」は 本邦初公開となるものであります。
     製作資料 
@横須賀海軍工廠使用図面 A米占領軍撮影冩眞 B旧海軍関係者聞き取り C軍艦陸奥引揚げ冩眞

砲塔模型の全景  縮尺 1:50 
  (註、冩眞の砲身の穴径は8mmで、これを50倍すると40サンチになります)
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左砲尾栓閉鎖、    右砲尾栓開、(装填架作動中)
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右砲へ「砲尾揚弾薬匡」が装填態勢に在り
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同上
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砲尾揚弾薬匡 
従来の砲弾・薬嚢の落下式は装填時の不具合多く、大改装時に此の廻転式に更新
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換装機室  軌条に砲尾揚弾薬匡(弾・薬嚢搭載済)  右舷のみ
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換装機、装填作業中
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左砲俯仰手操作席
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 砲塔中央 旋回手操作席
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   砲塔旋廻機
@砲塔の右舷と左舷に有り、「水力發動機」と起動機(ジャネーポンプ)が組合わされ兵員並びに砲塔旋回手が制御する
A「水力發動機」は、機関室から供給された72kg/cm2と言う超高圧水で動く機械である
B昆輪盤と砲塔の重量を受ける為のローラーベアリングが全周に設置されている
お便り

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   弾庫
@画面中央奧に「中央揚弾薬匡」への装填口(四角な窓)が有り、その手前に載弾盤、運弾盤が設置され弾杷に吊られた砲弾が軌条に沿って弾庫から運び込まれている。弾杷は天井の「水圧匡筒」を操作し動かす。
A白色の砲弾は「91式徹甲弾」、赤色は「3式弾」である
B弾杷は冩眞奧の壁面に設置された突起を操作して作動させる
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  火薬庫
@装薬は、真鍮製の「火薬罐」に納められて棚に整然と格納されている。
A庫内の中央に「中央揚弾薬匡」、防炎の為の回転式搬入口を有し、回転ハンドルが見える。
B庫内の床は板張りで、静電気防止の為に木綿の作業服にゴム底の足袋を佩き、専用の庫内灯を所持して火薬の取扱い作業を行った。
お便り


凄いです。
何とも言葉がありません。
キャドの図面が、立体になったのですね。
今までのお便りを見直してみると、とうとうここまでと 感慨深いものがあります。
見習います。

14,11,03 2回分のお便りをまとめてご紹介します。

14.9.30
砲塔模型をヒマに任せてやってますが、何から何まで自分で作らなければならないので 時間ばっかり掛かって居ります。
連鎖装填機など冩眞は有るのですが、なかなか冩眞の通りには作れないので イメージで作ってみました。装填機は付属の水力發動機で駆動されるのですが、 冩眞では暗くて分からないのでこれもイメージです。
砲塔内は全てが機械なのですから、砲塔旋回機の「歯車」なんかどうやって造ろうかと 考えて、(冩眞は何処にも写ってないので) 実物の姿を空想して造りましたが、 実物もこんなものだろうと思います。
      遥架の端に連鎖装填機 と装填手の腰掛け
砲鞍の側面に尾栓開閉機(最下部に水力發動機)
お便り

連鎖装填機 と装填手の椅子
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  実物の連鎖装填機 と装填手の椅子
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  砲鞍の下に「俯仰水圧筒」の軸(実物の太さは約300mmФ)
お便り

  砲鞍の下部に在る「俯仰水圧筒」の軸の冩眞
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  砲鞍の側面に尾栓開閉機(最下部に水力發動機)
お便り

  実物の尾栓開閉機
最下部に水力發動機が有ったが、要部が「砲金製」であったらしく 敗戦後に盗られて無かった。
お便り

  枝島の俯仰水圧筒の軸が見える
お便り

  左砲・右砲の砲鞍を砲塔に設置したところ
お便り

  砲塔用「水力旋回發動機」「ジヨンネー制動機」 と旋回歯車(右舷用と左舷用)
お便り

まだまだ作らなければならない部品がいっぱい有り、どんな材料を使って作ろうか と、 始終悩んで居ります。
  これらのものを砲塔内に組み込むのですが、出来上がったら何が何だかわからない ようなものになってしまうのではないか と思われます。
砲塔の形が出来てきたら また、冩眞を送ります。

14.11.03
此のところ、朝から晩まで砲塔模型の製作に取り付いて居りますが、作り直しの連続で、 なかなか捗りません。
ようやく「火薬庫」と、「91式徹甲弾」のサンプルが出来上がって来たので御覧下さい。
これが「41サンチ砲」の装薬が入った「火薬罐」を格納した「弾庫」で、
火薬罐が3段重なって居ります。床面は御覧の通り木甲板であったとの事で、
壁面は全て「白色」に塗られて居たものと思われます。
お便り

中央揚弾薬匡に装薬を転送する為の特殊なハッチが有り
此処には既に「装薬」が4個入って居ります
お便り

米軍撮影 軍艦長門艦内 火薬庫
火薬罐を格納していた場所で、装薬がむき出しになって居る
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これが実物の火薬罐ですが、此れを真似て模型を作りました。
蓋の表面に横木の様なものが有りますが、蓋を固定する為のもので、
開ける為には中央の三角形のものを緩める専用の治具が必要になります。
(私の住んで居る団地の物置の中に置いていたのですが、其処で撮りました)
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これが「91式徹甲弾」の模型で、これを約50發作って弾庫に収納しますが
 その塗装がなかなか大変です。
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此れが実物の弾庫の中の「91式徹甲弾」です
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今までここまで表現された模型は見たことが無いので、
完成が楽しみです。
砲の資料を丹念に収集されてきた、A様ならではと、感動しています。

14.9.18プラモ代わりに始めた砲塔模型の製作が此処まで出来ましたので御披露します。

  長門型戰艦40糎砲塔 (縮尺1:50、砲塔旋廻盤の径9,792mФ)
これは、戰前の「海軍工廠の図面」と米軍撮影の艦内冩眞を元にJWキャドで「模型製作圖」を書いて、それを見ながら模型を作り始めたのですが、
作った部品が所定の位置に収まらなかったり、形状が気に入らなくて何度も製作圖の修正と部品の作り直しを繰り返して、たったこれだけのものを作るのに試行錯誤・悪戦苦闘の連続でありました。
御承知の事かと存じますが、海軍工廠の図面とは薄手の絹織物(羽二重の如き)に蝋引きした1.8m×1.5mくらいの大きな用紙に墨入れした図面で、照明にかざすと繊維がかすかに見えて、此れが図面書きの用紙なのかと思われるようなものです。
図面の右下に「横須賀海軍工廠造兵部」のタイトルが有り「○○○○組立」と表示された第三角法に依る分解圖が描かれて、部長、設計主任、實務班長、係管、係員、閲圖の担当官、製圖担当者寫圖など8人くらいの印が押された仰々しい図面です。
「戦艦武蔵」と言う本の中で或る寫圖工が紛失してしまう場面がありますが、大きな図面なので余程の事が無いと失くす事は無いと思います。
完成までに果たして何か月掛かるのか分かりませんが、毎日の楽しみで気長に作ってみたいと思います。

  左砲(尾栓閉鎖)と右砲(尾栓開く)
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左砲と右砲

製作中の砲塔床面 (左右の窪み箇所は俯仰手の位置)
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砲塔床

砲塔床面の砲耳に砲鞍を設置してみたところ 
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斜め後方
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軍艦「陸奥」砲塔内部冩眞 (A様撮影)
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左砲―1

尾栓や砲耳、砲鞍、駐退復座筒などが付いた砲身は一門で約130トンも有り、ご覧の様な二本の逞しい遥架の上に砲鞍が設置され、砲身は砲鞍の中で後座(距離1,200mm)・復座を繰り返す訳です。残念ながら此の冩眞の遥架の後端は敗戦の際に爆破され、其処に付いていた連鎖装填機は吹っ飛んでしまいましたが、今でも其の部品は下に落ちていると思われます。
此れを保管している現在の「海上自衛隊第一術科學校」は此れ等旧軍の砲には全く関心が無く、御覧の通り砲塔の中は鳩の巣に化し、「鳩の糞」が床面から何と5cmも積もっていたのです。
誰かが砲塔に入って空穴になってる砲鞍口に防鳥網を掛ければ鳩の侵入を簡単に防げるのに、こんなざまで、どうして「海上自衛隊は栄えある帝國海軍の伝統を……」などと言えるのでしょうか。嘘ばっかり。
なお、砲身後面の直径1.6mの円面や各所の機器類、海兵時代に「教材」として使われた説明板などにも真鍮が使われて居りましたが、敗戦の際に爆破された後、盗られて全て無くなりましたので砲塔内には御覧の通り「金目のもの」はありません。

   米軍撮影 軍艦長門砲塔内冩眞
    (冩眞左下に連鎖装填機の衝頭が見える 手前に操作ハンドル)
戦艦長門右砲の健全な状況
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前の冩眞の続き
     左砲「装填手」腰掛け後ろに「連鎖装填機」(黒色)
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左砲装填手腰掛

  左砲「連鎖装填機」の見上げ冩眞
此れは「電動機」では無く付属の「水力發動機」と言うもので駆動され、その為の 水圧管(72kg/cm2の超高圧水)がぐじゃぐじゃと機械の周囲を囲んで居ます。
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左砲連鎖装填機見上げ冩眞

主砲身の下に在る俯仰筒 (太さは径30cm)
  主砲砲身俯仰軸 右下に砲尾揚弾薬匡巻揚げ機
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 中央揚弾薬匡 載弾装置と扉開閉ハンドル(左右)
中央揚弾薬匡砲弾挿入口
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こんなものの模型を、いったいどの様に作れば良いのでしょうか。

各部の細部の表現は、模型製作の醍醐味ですが、御自分で見られた現物と資料が有るのは 羨ましい限りです。ここまで資料があれば出来たも同然です。

14.8.17「高雄」1/350を作ってみたのですが、

約4か月くらいかかって「高雄」1/350を作ってみたのですが、
其の冩眞を送りますので、お粗末ながら御覧下さい。
これでもう1/350の艦船プラモデルは作るものが無くなりました。
(国内のメーカーがプラを1/350から1/700に転換してしまった
ようで、加えて1/350の「エッチング」の在庫がどこにも無い)
いよいよ当初の計画通り「砲塔模型」1/50を作るしか無くなり
ましたが前途多難です。
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「砲塔模型」1/50楽しみです。

14.6.10 横須賀の「おおなみ会」展示会に行ってきました。
当日は朝から大雨で、「これでは誰も模型を持って来るのは居ない」「おそらく展示品は 俺のものだけだろう」「展示場のド真ん中にドーンと置いてやろう」 「しかし、俺の艦だけではさびしいなあ」
なんて考えながら定刻の昼12時より2時間も早く会場に行ったのですが、なんと、既に ゴチャゴチャと大勢の会員が居て、それぞれの艦船展示作業の真っ最中でありました。
そして驚いた事に、会場のド真ん中にドーンと置いて有る大きな模型軍艦は、なんと、 高名な岡本好司さんの作品 1/150「戰艦榛名」であったのです。
この作品を2日掛かりで神戸から自分の車で運んで来たのは岡本先生の弟子である 「モデラーズクラブ」の会長、「友井保男さん」と言う方で、傍には御自分の作品である 1/200「戦艦霧島」と、1/200空母「隼鷹」が展示されておりました。
と、言うわけで、1/350のプラ改造軍艦模型など展示するのが恥ずかしくなりました。
やはり、大型の「ソリッドモデル」にはかないませんね。
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眼福ですね。

14.03.18「クイーンエリザベス3世」号を見て来ました
昨日は横浜港に入港した巨大船「クイーンエリザベス3世」号を見て来ました。
冩眞を送りますので御覧下さい。

この船の大きさは、90,400トン定員2092名、長さが294m・幅32.3m・高さが海面上56.5mですが、横浜港入口の「ベイブリッジ」の高さが55mなので、
前日の夜12:30頃に引き潮で海面が2mほど下がるタイミングを見て通過、
ようやく入港して大桟橋に接岸したものです。

出港も同じようなタイミングを見て「ベイブリッジ」をくぐって出て行く訳ですが、
以前立寄った「クインメリー」号は148,500トン定員2620名、長さが345m・幅41.0mで、高さが海面上62mも有るのでベイブリッジを通過出来ずに手前の貨物ターミナルに停泊、
これが乗客の不満となって、以後、横浜へは来なくなってしまったのだそうです。

長さが300m近くも有る船は流石に大きいもので、大勢集まって来た見物人など まるで豆粒のように見えます。
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横浜港の山下公園に常時停泊している「氷川丸」、右は「マリンタワー」です。
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凄い大きさですね。
道に迷ったら永久に出てこれ無そうですね。

14.02.10模型軍艦「山城」
模型軍艦「山城」の冩眞をお送りしますので御覧下さい。
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山城の慰霊祭に模型を展示し、模型が「神格化」されてしまった思い出

平成7年10月25日  軍艦「山城」戦没者慰霊碑建立追悼慰霊祭
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軍艦山城「慰霊碑建立祭」

当時、横須賀海兵団の方々とのお付き合いで「軍艦山城会」の世話人を奉仕して居た私は、 山城・扶桑などから編成された「西村艦隊」各艦の1/700の洋上模型艦隊として展示しました。
当日は海自横須賀地方総監が出席、それに「横須賀音楽隊」が式典の奏楽を行いました。
一旦、慰霊祭の祭壇に展示された「艦隊模型」は神主のお祓いを受け神様の仲間入りを
して模型とは言え、「神格化」されたものに成ってしまったのです。
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山城慰霊碑建立展示ー1

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山城慰霊碑建立展示ー2

先導艦 駆逐艦「満潮」「朝雲」  右方警戒艦「山雲」  左方警戒艦「時雨」  西村艦隊旗艦「山城」「扶桑」「最上」
(これら7隻の内、帰還したのは駆逐艦「時雨」のみ)
それ以来19年ぶりの「山城」の模型の製作でありました。

模型も神様になるのですね。
戦没された方々を思うと、厳粛な気持ちになります。

13.10.30亀が首の冩眞
ところで、其の時にお話しした亀が首の冩眞の件ですが、たくさんありますので 出来るだけ判りやすい鮮明なものを抜粋してお送りします。
 亀が首試射場は名前の通り地形が亀のような形になって居ります。
1試射場配置図
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  試射場は下記のような配置で様々な建物や装置がありました。
1試射場平面図
お便り

下の冩眞は終戦後に占領軍である「米国戦略爆撃調査団」が克明に撮影した冩眞ですが、私が描いた上の図面と照らし合わせてみると判りやすいと思います。
この冩眞は図面の「四国側」(南側)から撮ったもので、右側の海中に突き出たものは 「第二線的支柱」で、画面中央の数本の柱のようなものが「第一線的支柱」です。
冩眞の左側中央に大きな走行クレーンが有り、その下には 様々な資機材が置いてあります。
画面の下側のものが戰艦信濃に搭載される予定の46サンチ砲塔で、信濃が空母に変更されてしまった為に不要となり、此処に放置されているのです。
冩眞の奧の山肌は砲弾の試射の為に削られて禿山のようになって居りますが、現在では 豊富な樹木に覆われて居ります。
冩眞では広く見えますが、学校の校庭程度の面積なのです。
全景
お便り

これは場内に放置された複数の46サンチ砲身です。
18吋砲身
お便り

これは大正時代に試射が済んでいた19インチ砲です。八八艦隊計画の大和・武蔵の 次の戰艦に搭載が予定されていたもので、試射場内の山の下側にこんな姿で置いてあったのです。
長い砲身にカバーを架ける為の支柱があり、米軍の将校が砲口にスケールを当てて居ります。
19吋砲身
お便り

これも戰艦信濃に搭載される予定の46サンチ砲塔で、信濃が空母に変更されてしまった為に不要となり、此処に放置されているのです。
砲塔
お便り

これも戰艦信濃に搭載される予定の46サンチ砲の砲鞍です。
砲鞍
お便り

上記の46サンチ砲鞍を前から撮った写真ですが、さすがに巨大なものですね。
私は米国の戰艦ミズリーの三連装砲塔(40サンチ砲)を見た事がありますが、 それよりも更に大きく見えます。此処には米軍の調査団の将校と、腕章を巻いて 案内をされている人が写って居りますが「大谷豊吉氏」(海軍技師)と思わます。
砲鞍
お便り

これが大和型戰艦の砲塔動力として製造された「水力發動機」であると思われます。
水力發動機
お便り

此の亀が首試射場は、戦後、「海軍省」が解体されてしまった為に 場内の機材を所有管理していた当事者が無くなり、百鬼夜行の地と化し、 付近の人々が競って機材を撤去して売り飛ばし、巨額の利益を得ました。
まるで戦後の横須賀の軍艦「三笠」のようなものです。
冩眞で御覧に入れたものの他に地中に埋まった砲弾や薬きょう、橋梁など、 試射場に設置された各種砲熕、機材など相当なものが有ったのですが、 毎日毎日何百人の人間が船で試射場に押し入って、それらの金目のものを 我先に奪い合い、中には海底の砲弾が炸裂して船諸共死傷者が出た事もあり、 この地の倉橋島などはお蔭で學校や公民館など全て新しく作る事が出来たのだ そうです。
現代の宝島のようなものであったとの事です。

感想
こんなところに重要な施設が有るとは、戦争スパイ映画のようです。

13.10.05ようやく、軍艦「扶桑」の模型(1/350)が完成しました。

この軍艦は艦橋が高くて(海面から約50m)、度重なる改装の為に
複雑な形になって居り、模型を作ってみてつくづく其の難しさを感じました。
模型は昭和14年ごろのものとして製作しましたが、元々のプラ製品が
昭和18年頃を想定したもので在る為に艦橋の形を変える事が出来ず、
機銃の形状も異なり(13mm4連装機銃、模型では25mm3連装)
後部甲板の張り替え、内火艇やカッターの配置、飛行機の種類などを
考慮して製品以外の他のパーツを揃えて工作するも限界がありました。

全景
お便り

艦首 (菊花御紋章)
お便り

前甲板  (錨鎖の振れ止め防止ロープ)  錨見台
お便り

8m通船  主砲上に外とう砲
お便り

艦橋正面
お便り

艦橋基部  飛行甲板 カタパルト周辺
お便り

3番砲塔、カタパルト周辺 カタパルト左舷
お便り

前艦橋基部
お便り

5、6番砲塔 後部甲板 両舷のカッター  左右の舷梯 後部艦橋周辺、中央
お便り

左舷舷梯 (舷梯の形式は山城のもの)
お便り


益々焦ります。
早く作らねば。

13.06.17「おおなみ会」の模型展示会
先日(6月15・16日)は、横須賀で「おおなみ会」の模型展示会の見学に行って来ました。が、なんと、此処でもすごいものを見てしまいました。
これは戰艦「扶桑」(1/700)の模型ですが、この前甲板の昇降口に注目して下さい。
なんと「昇降口」にはハンドレールや扉の閉鎖用金具まで取り付けてあるのです。
甲板上の他のものも同様で、これが果たして「1/700」の模型と言えるものでしょうか。
扶桑甲板昇降口
お便り

その模型の製作者に工作の様子を聞いてみたのですが、
「細い真鍮線をお湯で温めてピンセットでつまんで曲げる」のだそうで、
つくづく「上には上があるものだ」 と、感心した次第です。
お便り

尚、会場には1/72の空母「ニミッツ」の大きな飛行甲板が設置され、
飛行甲板に艦載機が並べられておりました。
  その艦橋の冩眞をお送りしますが、流石に1/72の模型は大変迫力のあるものですね。
お便り

感想
いろんな人が、いろんな模型を作っているものですね。


13.3.20ようやく完成した軽巡洋艦「矢矧」(縮尺1/350)
たいへん御無沙汰して居りますが、其の後、お変わり無くお元気にお過ごしの事と思います。
しばらく寒い日が続いておりましたが、「櫻の花」の開花と共に暖かくなって参りました。
今年に入ってからは(寒くて)殆ど家に籠って模型作りをやっておりましたが、ようやく 完成した軽巡洋艦「矢矧」(縮尺1/350)の冩眞をお送りしますので御覧下さい。

此の「矢矧」は「戰艦大和」の特攻出撃の際に同時に出撃し、昔、私が「海軍を偲ぶ会」で御世話になった板谷隆一さん(後、自衛隊統幕議長)は、本艦の分隊長(海軍大尉)として乗艦して、撃沈された4月7日の夜は一晩中海に漂って九死に一生を得たのだそうでした。
昔、御本人から其のような話を承った事を思い出しながら作った次第です。

今回も例の「エッチング」の工作には苦労しましたが、慣れて来ると、既成の0.23mmの 真鍮線などを組み合わせて更に精巧なものを再現するようになります。

頭から拡大鏡を掛けて、拡大した画面の中でのピンセントと針の先での工作は本当に 神経が疲れました。「瞬間接着剤」を楊枝の先を削って尖らした先に付けて、数ミリの 部材を当該箇所に接合する作業を全ての箇所で何度も繰り返すのです。

私は今年の3月6日で満68歳になりましたが、こんな事をやっていれば「○○ボケ」が 何処かへ飛んで行ってしまうのではないかと、思われます。

全景
「矢矧」の要目 基準排水量 6,650頓 最大幅15.2m 水線長172m 平均喫水5.6m 速力35ノット 
模型の幅 43mm  長さ 490mm 喫水 16mm 
   完成した全景
お便り

艦首
お便り

左舷中央艦橋付近 21号電波探信儀 方位測定用アンテナ 13号電波探信儀
お便り

飛行作業甲板
お便り

錨鎖甲板  一、二番砲塔  甲板昇降口
お便り

艦橋 煙突  右舷舷梯  右舷カッター  65口径10糎連装高角砲
お便り

飛行作業甲板  零式水上偵察機11型  × 2機  4連装魚雷発射管と酸素魚雷
お便り

後部甲板   両舷に爆雷投下台  甲板昇降口  三連装25mm機銃  三番砲塔
お便り


2.08のお便りから1ヶ月一寸でこの完成度。素晴らしいです。
私も早く作らなければ・・

13.2.20「ミンダナオ会」の模型展示会
先日の日曜日に、東京の月島まで「ミンダナオ会」の模型展示会を見に行って来ました。
この会の会長さんから年賀状で案内をもらっていたので、(1/700の展示会なので 安心して行った)のですが、またまた、(大)ショックを受けて帰って参りました。
この世の中で、上には上が居るものなのですね。
空中線には、釣り道具店で売っている金属テグスと言うものを使ったのだそうですが、まるで「蜘蛛」が張ったようなものでした。
戰艦「長門」 1/700 模型
   これで1:700なのだそうで、1:350に匹敵する精度なのです
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   戰艦「金剛」  1/700
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感想
1/700の世界は、米粒にお経の世界です。

13.2.08 ご無沙汰して居ります。
少しづつ寒さが和らいで来たような気がしますが、その後、如何お過ごしの事でしょうか。
昨年からやっていた軽巡洋艦「矢矧」のプラモは、あれやこれやと試行錯誤しながら ようやく下記のようなものになりました。
「プラモデル」に手を加えてみて、なんとか迫真のものをと、心掛けて居るのですが、
下手な冩眞を御覧下さい。
此のプラモの甲板の製作は 当初は「0.2mmのプラ板」にリノリューム色を塗って1.8mの幅に切ったものを貼り付け、
目地棒として 「0.2mmの真鍮線」 を、縦横に瞬間接着剤で取付けてみたのですが、
此の目地棒の真鍮線がなかなか綺麗に真っ直ぐに貼れなくて困って居りました。
そこで、昨年の12月1日に北千住の展示会に行って見事な戰艦扶桑・山城の模型を 見たのですが、そのリノリューム甲板の目地が、なんと、塗装で仕上がっていたのです。
私は「これだ」と、思って、 家に帰ってからその出来の悪い甲板を剥がし、メーカーから新しく甲板のパーツを取り 寄せて、下記の手法で甲板のやり直しをしました。
甲板のリノリューム色塗装
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真鍮目地(金色)塗装の為の下拵え
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甲板リノリューム目地の出来上がり
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この「矢矧」の製作が終わったら、昨年12月に北千住の展示会で見たプラモの戰艦「山城」を真似て作ってみようと思い、
取り敢えず、「エッチングパーツ」と「木甲板シール」だけを取り寄せてみたのですが、なんと、そのエッチングには「外とう砲の架台」までも付いていたのには驚きました。

旧横須賀海軍工廠で建造された軍艦陸奥の「外とう砲」関係図面をお送りしますので御覧下さい。(これは本邦初公開のものです)
外とう砲の設置図面
  外とう砲備装圖
お便り

軍艦陸奥の外とう砲 (旧嵐山美術館所蔵品)
お便り

照準演習装置図
お便り


これで正確な外とう砲が作れますね。

13.1.11此の度、軍艦・大砲模型の氣違いとして昔からの念願であった ものを遂に発見しました。

以前、知人の海兵出(75期)の方から聞いてはいたのですが、
昔、海軍兵學校に「扶桑講堂」と言うものが有って、軍艦扶桑の
大きな模型が設置されて、教材として模型の各箇所を動かして
教官が説明をしてくれた との話を聞いた事がありましたが、
偶然にも、その物の鮮明な冩眞を見る事が出来たのです。
インターネットで、「デジタル造船資料館」を検索してみてください。
「船の科学館」の飯沼一雄さんが提供されたようですが
、 その中に「籾山模型の魅力」と題したものがあり、「扶桑講堂」の
軍艦扶桑の素晴らしい鮮明な冩眞などが掲載されております。
これは縮尺が1/16で、全長が12.8mも有る巨大な模型ですが
残念ながら 戦後、この模型は江田島に進駐した「ニュージーランド」の兵隊の
手で講堂から引き出されて破壊されてしまったのです.
何と、其の破壊の様子を撮った写真も掲載されているのです。
製作者の「籾山作次郎」氏が、その娘さんと一緒に籾山艦船模型の
職人さんに囲まれて撮った冩眞もありました。
その他にも、戦前の籾山が製作した軍艦の銀製模型の数々が
掲載され、軍艦のみならず素晴らしい商船の精密模型もあります。

此の件、 或いは既に御承知の方もお出での事と存じますが、宜しく御覧下さい。

デジタル造船資料館は知りませんでした。
ここから資料集めが、色々広がりそうです。

13.1.1 40糎砲塔製作圖
作図の一部を送っていただきました。
お便り

お便り

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複雑ですね。

12.12.2 此の度はたいへん勉強をさせて頂きました。

此の度はたいへん勉強をさせて頂きました。
流石に「激作展」と銘打つだけに何れも素晴らしい作品群であり、(いわゆる)
プラモデルなどと言えるものでは無く、此の様に熱心に製作に取り組まれた 方々の作品からは、その熱意から発する「気品」さえ感じられた次第です。
ソリットモデルの「睦月型駆逐艦」は元より1:350の戰艦群など私にとっては 本当に良い勉強で、これからなんとか試行錯誤を繰り返してみたいと思います。
此の度の作品展の御案内に対し、心から御礼を申し上げます。
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遠路お越し頂き有難うございます。

12.10.21 呉の中邑さんの自衛艦艇模型

呉の中邑さんの自衛艦艇模型  (縮尺 1/100)
これらの模型製作は20年近くも前の事で、これらの外に「輸送艦とわだ」イージス艦「こんごう」など多数があります。
当時は現役の乗員で退官迄の35年間一度も陸上勤務の無かった中邑さんは、ほとんどの艦艇を乗艦の船底に設置した模型製作室で建造したのです。
自衛艦艇の中に模型店や材料店が有る訳が無く、これらの模型の素材は乗艦内で苦心の末に拾い集めた貴重なものでありました。
艦内の応急材の切れ端・アルミ缶の底・ストロー・機関科でメンテに使用したフィルター(網目)・針金・廃品の金属部品・禁煙パイプ・罫紙・等々を利用しております。
艦内で乗艦の模型を造っているとの話しはたちまち広がって、中邑さんの下には 様々な古物が寄贈され、これは皆、乗員の協力の賜物でもあったのです。
現職の強みは何と言っても実艦の測量が出来る事で、また入渠した際に艦底のスクリューや軸、舵など様々なものの形状を見る事が出来るのは大変羨ましい事でありました。
お便り
海自護衛艦模型ー1

お便り
海自護衛艦模型ー2

お便り
海自護衛艦模型ー3

お便り
海自護衛艦模型ー4


感想
羨ましいですね。
でもやはり腕が良いんですね

12.10.16 観艦式

今回の観艦式に偶然にも切符を貰う事になって、予行で護衛艦「あきづき」に、
本番では先導艦の「ゆうだち」に乗って来ました。
特にたいした事はありませんが、様々な冩眞をお送りしますのでご覧下さい。
朝の吉倉バース
お便り
当日の朝6時頃

観閲受閲部隊先導艦「あきづき」
お便り
あきづき

「あきづき」の艦橋
お便り

後続艦艇
お便り
後続艦

観閲部隊先導艦「ゆうだち」の前甲板
お便り
(中国・オーストラリア・タイ・米国・英国など様々な国の方々が乗艦していた)

昼食
お便り
弁当

本艦は先導艦で、お召艦「くらま」以下が後続艦となっている
お便り
後続艦群

単縦陣の陣形に入った
お便り
軍艦旗と後続艦

威風堂々、「あきづき」以下の受閲艦艇部隊 
お便り
受閲艦艇群

  潜水艦の浮上
お便り

禮砲
お便り
禮砲發射−1

お便り
禮砲發射−2

ヘリ護衛艦への着艦
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救難飛行艇
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横須賀に帰港した「くらま」
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御召艦くらま

Fバースの艦艇群
お便り
Fバース

電燈艦飾  横浜港大桟橋にて (遠くに氷川丸・マリンタワー)
お便り

私は昔の観艦式の方が良いと考える方で
昭和8年の観艦式の冩眞を送りしますのでご覧下さい。
「艦隊集結」
お便り
艦艇集結

御召艦 「比叡」艦艇集結
お便り
お召艦比叡

観艦式式場
   先導艦「鳥海」 御召艦「比叡」 供奉艦「愛宕」「高尾」「麻耶」
此れは誠に威風堂々の陣容で、現代では見る事が出来ません。
お便り
観艦式式場

式場巡閲の御召艦「比叡」
巡航時、御召艦が真横を通過する際に整列した儀丈兵は着劔捧げ銃を為し、喇叭兵が「君が代」を吹奏する。
お便り
式場航進中の戰艦比叡

軍艦「霧島」の前甲板
お便り
軍艦霧島

昭和8年横浜沖観艦式 「艦艇配列圖」
お便り
昭和8年観艦式艦船配置圖

観艦式の為に横浜市水道局は聯合艦隊より参加艦艇への船舶給水の要請を受け、
大量の水船(だるま船)を繰り出して参加艦艇180余隻への給水事業を行いました。
これは其の時に聯合艦隊参謀長から下付された艦艇配列圖(軍機)です。

12.10.05江田島の砲塔内冩眞

江田島の幹部候補生學校に在る「軍艦陸奥」の41糎砲塔内冩眞
これは私が平成5年の8月と翌年の12月に撮影したものです。
お便り
砲塔への階段

砲塔入口
お便り
砲塔入口

砲塔入口を仰ぐ
「いよいよ夢にまで見た戰艦の砲塔に入る時が来た」と、思うと胸が高鳴ってたまりませんでした。
「よし、俺が先に入るから」と、3人に先駆けて頭の上の鉄格子の間から頭を入れてみると真っ暗で何も見えず、用意された脚立に足を掛け、開口部から体を入れ両手をついて体を真っ暗な砲塔の中に入れた途端に「ザワザワ」と大きく何かの音がしたのです。
「さては魔物が出て来たのか、此処まで来たら魔物に食い殺されても」と、サーチライトを音のする方に向けると、なんと、突然入って来た人間に驚いた大勢の鳩の羽音であったのです。
そして、ライトを真っ暗な奧の方に向けて最初に見た光景が下の冩眞でありました。
左砲全景(側壁面に砲尾揚弾藥匡上下用軌条)
お便り
左砲全景(側壁面に砲尾揚弾藥匡上下用軌条)

右砲
お便り
右砲

尾栓開閉機 (縦軸の下端に水力發動機がセットされていた跡が見える)
お便り
右砲の尾栓開閉機

右砲前部
お便り
右砲前部

右砲 俯仰角設定歯車とギア
お便り
右砲 俯仰角設定歯車とギア

左砲前部
お便り
左砲前部

左砲後部 遥架の下に垂れ下がった装填架 (砲の下には滑車や歯車など様々なものが落ちていました)
お便り
左砲後部

後方の測巨儀室を望む
お便り

測巨儀が取り付けられていた装甲の開口部 (赤ペンキが塗られたアングルやボードは開口塞ぎの為の仮設天井)
お便り
測距儀設置個所

爆風が吹上げた時に天蓋装甲板も持ち上げられた時に生じた鋼鉄の食い違い
お便り
破壊時の鋼鐵板のズレ


添付圖と下記の冩眞などでその概要を説明申し上げますので、研究の一端を御覧下さい。
「長門砲塔圖」
お便り
「長門砲塔圖

弾庫・火薬庫・中央揚弾藥匡・換装室・砲尾揚弾藥匡・水力發動機など、砲塔内の様々なものが立体図として描かれて居ります。
「軍艦長門砲塔圖」には更に書き込みたいものがあるのですが、この様に立体的な絵にすると線が重複して複雑になり判読不能になってしまうので改めて別な図面を作成したい と、思っております。
「7HP水力發動機」
お便り
「7HP水力發動機

旧海軍砲術學校の「36糎砲取扱い教本」に掲載された図面を元に私が立体的な絵にしたものですが、小型ながら大出力が出る機械であります。
冩眞の「陸奥」の尾栓開閉機の縦軸の下部にも設置されていたのですが、砲金製の為に敗戦後に盗まれたらしく本体は無かったのですが、其の跡が残されておりました。
(水圧は72kg/cm3と言う超高圧で、機関室に設置された蒸気タービン駆動の水圧ポンプから供給される)
「水力發動機」は尾栓開閉機、連鎖装填装置、砲塔旋回機などに使われて、大和型戰艦の砲塔も水力で旋回俯仰が為されました。
大和型の「水力發動機」
お便り
(戰艦信濃用として造られたが不要になり亀が首に放置されたものを戦後、米軍の調査団が撮影したもの)

私も大変関心を持って此の実物をと、探し廻ったのですが実物は何処にも無く、此のような機械は既に忘れ去られた技術なのかも知れません。
「ジョンネ」
お便り
東京水産大学記念館の模型

「ジョンネ」の事は深田正雄造兵中佐に説明して頂いて概要はわかりましたが、起動機、受動機の組合せで艦橋頂部の測巨儀の駆動にも使用されており、砲塔旋回機の起動にも使われております。(砲塔旋回機の水力發動機との連動は、手動の「クラッチ」で切り替える)
「ジョンネ」の実物を見る事は出来ませんが、其の一部が東京水産大学記念館に模型として展示されておりました。
通常の電動機が固定子と回転子との間の(間接的な)磁力で回転するのに対し、水力發動機は直接的に超高圧の水圧(72kg/cm3)を円盤などに受けて回転する為に、小型ながら驚異的な旋回力が生じるものと思われます。
因みに「大和」の砲塔重量は約2500頓にもなりますが、これすら水力發動機で旋回が為されたのであります。
「水圧匡筒」
お便り
「水圧匡筒」

「水圧匡筒」の機構は添付図面のようなもので、此れは砲尾揚弾藥匡の上下に使用されたもので、同様な匡筒は弾庫の砲弾運搬用その他にも使われております。
「砲尾揚弾藥匡」
お便り
戰艦金剛のもの

「砲尾揚弾藥匡」の絵は英国から輸入の戰艦金剛のもので、この様な形をしておりました。
以降、国産艦もこれを真似て製作して使っていたようですが、二段落下式の為に実弾射撃の時に藥嚢が「砲尾揚弾藥匡」の中で途中で引っかかって落下せず発砲不能の原因になっておりました。
為に我が海軍は昭和11年の戰艦長門の大改造の時に従来の「3段型」を改良し、此の砲塔圖に書き込まれた様な砲弾と藥嚢の2段型を考案しました。
「陸奥砲塔調査資料」
お便り
陸奥砲塔調査資料

「陸奥砲塔調査資料」は、大和型戰艦の砲塔を考案された大谷豊吉氏が調査作成されたものを、防衛研究所図書館で書き写したものです。

感想
軍備は最先端科学技術の塊と解りますね。
S様の感想
凄すぎです、眼福でございました。願わくばこの目で いつか拝みたいものです。
今や歴史の証人ともいうべき貴重な砲塔です、大事にして 欲しいものです。

12.08.27 海軍砲の試射場探訪記 その1

「亀が首試射場」の名前はお聞きになった事があると思われますが、 海軍の大砲の試験場として広島県呉市の沖合にある倉橋島の東端に 存在して居りました。
御承知の通り、当時の軍艦に搭載していた36糎40糎の大口径砲と言うものの性能は今で言えば「大陸間弾道ミサイル」のようなもので国の最高の軍事機密で有り、其の為に此の大砲の試験は製造した「呉海軍工廠砲熕部」の中でも関係者以外極秘の内に進められ、 それらを実施している場所も知られる事は無く、施設に立ち入る事も出来ませんでした。
火薬の爆発や銃器の弾道などに関心を持っていた私は、呉市在住の友人 (海上自衛官)から其の「亀が首」と言う所が、戦後の今も昔のままに 存在している事を聞き、土地区画整理などの開発で荒されない今の内に 其の現地を訪ねておこうと思い、遥々と900kmの遠距離を走破して 亀が首に辿り着き此の目で現地を見る事になりました。
以下、冩眞で説明します。
「亀が首試射場」地形見取り図  (地形が亀の首に似ている)
お便り

ここまで来るのは大変だった。
地図には書いて無い上に、今どき大砲の試射場だなんて誰も知らないし、雑な「道路地図」と方向感覚を頼りに迷いながら「案内標識」も「舗装」も「ガードレール」も何も無い山の奧の幅2〜3mの車がようやく走れる幅で片側が海なので落ちたらお終い、対向車が来たら後戻りが出来ないデコボコの長い急な山道を乗用車で登って来たのだ。
ただ「試射場を見てみたい」と言う一心で走って来たのだが、今から思うと恐ろしくて二度と出来ない芸当だった。
倉橋島の東の端  此の狭い道を下って海岸沿いに行くとトンネルが有る
お便り

これが亀が首試射場に通ずる唯一のトンネル
お便り

水が溜まっている
お便り

トンネルを抜けるとこんな風景です
船着き場(護岸工事は為されている)
お便り

  冩眞の右側の奧がトンネルで、手前の石垣が船着き場 
        此の桟橋には重量物運搬用走行クレーンの軌条が有ったはずだが、全く何も無い
お便り

盛り上がった山(4〜5m)の側面に赤レンガの洞窟が有った
お便り

コンクリートのトンネルや階段もあった
お便り

試射場(150m四方の広場)側のトンネル出口
お便り

ざっと10m四方に囲まれた謎のコンクリート(幅1m)
お便り

 これが現在の亀が首試射場の跡地 
お便り

ご覧の通り何も無く、ざっと150m四方の草原と雑木林です。
いったい大砲やクレーンなどはどうしたのだろうか、
「夏草や兵どもが夢の跡」の句を思い出してしまいました。

私が行ったのは平成8年5月2日ですが、まったくの「もの好き」ですよ。
市販の道路地図だけを頼りに訪ねて行くなどと大変無謀な事であったと 思います。
  ただ、幸運にも倉橋島の東側に廻って「大迫部落」で道を聞いた時に
偶然にも、敗戦後、試射場に金属盗りに入ったと言う人にお会いした時は、
まるで地獄で仏に会ったようなもので、「此の先の東の山の陰に有る」と 言う事を教えてもらったのです。その通りに山を登って現地に辿り着いた わけでありました。
おそらくあの近所の人以外にわざわざ行った人は少なかったと思います。
その後、私の書いた亀が首の施設の平面図が「倉橋町史」に掲載されて から、熱心に発掘調査などをしてくれる のですから世の中は面白いものですね。

感想
軍備とは壮大なプロジェクトですね。
本当に夢の跡ですね。

12.08.23「陸奥」の大砲の行方

御承知の通り、軍艦陸奥は昭和18年に瀬戸内海の柱島沖で爆沈して 海底に横たわって居りましたが、
昭和45年前後に艦の中央から後部 にかけての部分が引揚げられ、その際に3番4番の砲塔と共に計4門の 砲身が揚げられました。
その4門の砲身の行方を探し出して冩眞にまとめました。
  海底から揚げられた砲身(一門の重量は約100頓です)
お便り

お便り

  @ 京都嵐山美術館別館(現在、廃館となり呉の「大和みゅーじあむ」へ)
お便り

嵐山美術館長の新藤源吾氏が「陸奥引揚期成会」から譲渡されたもの。
なお廃館後、砲身は250頓と150頓のクレーン車などを使って深夜の京都市内を 東大阪の建設会社の資材置き場まで運ばれ放置されていた。
  A 長野県 「聖博物館」
お便り

聖博物館は、陸軍航空士官學校出身の麻績村長宮下土義氏が旧麻績村小学校の 建物を改築した航空博物館で、航空自衛隊浜松基地の好意で様々なものが展示 されている。砲身は麻績村長と陸奥引揚期成会との関係で譲渡された。
尚、砲身の定期的塗装などは前述の航空自衛隊員個人の好意で実施されている。
   B 東京 船の科学館
  お便り

前述の陸奥引揚期成会への「笹川良一」氏の尽力で展示された。
  C 岡山県津山市 日植(株)構内「日植海軍記念館」
お便り

引揚げられた4門の内、一門のみは早々に引き取られて其の姿を消した。
陸奥の砲身に使われた鋼は戦前の製法に依るもので放射性元素が含まれて無い為に同元素の測定をする「容器」の製造に最適な鋼材であり、其の為砲身の先端2m部分を残して溶解された。
陸奥鋼として貴重なものである。
日植(株)の社長柴田正氏は海軍軍人で、人工芝などの植栽事業で全国展開。

AとCは知りませんでした。
放射性元素が含まれて無い鋼材とは、切ないですね。

S様の感想
写真見ました、各砲ともなんだか数奇な運命を辿ってますねぇ。
長野と岡山は全く知りませんでした。
立地的にも遠すぎて見れる機会は少なそうだけど、ともあれ残ってて くれて何よりです。

12.08.21いろいろな冩眞をお送りしますので御覧下さい。
お便り
外形

お便り
外形

お便り
内部

お便り
銘板

これらの冩眞は長門型戰艦「41サンチ主砲」用の発射藥を艦内の火藥庫で
保管するための「火藥罐」で、15年前に私が發見しました。
罐の重量は約80Kgで、静電気防止の為に全体が良質の銅で作られて居り
罐の内面は防湿の為に黒の漆が塗布されて、付属のワイヤーも銅です。(どうかな)
大和ミュージアムにも話しましたが「チンプンカンプン」でした。
軍艦模型作りはやっておりましたが、次第に其の周辺の事に
興味を持ち、砲と砲弾に関する事や、射撃、製造実験施設などを 訪ねて見て廻るようになりました。
火薬罐の発見は全くの偶然で、私の知人で、或る事業の経営者が 北京郊外に移転する事になった真鍮鋳物工場の跡地の整理事業を 依頼されて工事に着手したのですが、或る日、連絡が有り、
その跡地に埋まっていた防空壕から真鍮鋳物の原料としての非鉄金属が 沢山出て来たとの事で現地に駆け付けると、
冩眞のようなものが10罐ほど掘り出されたのだそうです。知人は其の内の2罐を保存 しておいて、翌月、私のところへ問い合わせて来たのです。
その東京都の知人宅を訪ねて現物を見た私は、どこかで見たような 形に気づき、罐を預かって東京から車で家に運んで調べますと、以前、 京都に有った嵐山美術館分館で見た火薬罐とそっくりな事に気づきました。
  お便り
爆沈した「戰艦陸奥」から引き揚げられた火薬罐。爆発の為に変形している

A様のお便りから

艦の会でお会いした、A様からの貴重な写真のお便りです。
歴史的発見された方から直接伺うと、重みがあります。
これからのお便りも楽しみです。




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